少年野球コラム

山本昌の恩師の言葉「まだ、終わってない!」が魂を揺さぶる

「プロフェッショナル 仕事の流儀」(2014年7月28日に放送)で山本昌投手の話がありました。

その中で、山本昌投手の恩師と、その恩師から投げかけられた言葉に魂を揺さぶられましたので、ご紹介したいと思います。

自分が嫌いだった少年野球時代

山本昌投手が厳しいプロの世界を生きてこられたのは、どん底の時代に出会ったある恩師の存在がありました。

山本昌投手は昭和40年東京の生まれ。

野球を始めたのは小学3年生の時。コントロールがよく最初からピッチャーを任されたそうです。

しかし、何につけても自信の持てない性格だったようで、そんな自分が嫌いだったとのこと。

山本昌投手

「みんながそっちがいいって言ったら、やっぱりそっちがいいのかなぁってね。

そういうような性格だったんで、そういうのが自分が小さい頃嫌いだったんですよね。

自分の意見が言えなくて。」

甲子園に行けなかったが、しかし…

神奈川の高校に進み2年生の時から試合で投げ、県大会のベスト8まで進みます。

しかし、その先の壁は厚く、結局、甲子園に行くことはできず、高3の夏を終えるのでした。

山本昌投手

「プロになれるなんて夢にも思ってませんから、大学の方にちゃんと行って、勉強して将来教師になりたいな、と。」

ところがその秋、思いもよらないことが起きます。

それは、中日ドラゴンズからドラフト5位の指名を受けたのでした。

体が大きく左利き、コントロールがいい、潜在能力を評価され、自信は無かったとのことですが、周囲の声に押され入団を決めます。

プロに入ったが、ある通告に愕然

しかし、プロの世界は想像以上に熾烈。

2年間、2軍暮らし、3年目にようやく1軍に上がれたが、全く通用しなかったとのこと。

1年先輩だった宮下昌己さんは、悩み続けていた当時の山本昌投手の姿が忘れられません。

宮下昌己さん

「真っ直ぐのスピードがあって宮下さん羨ましいわって言うし、ずっと焦ってましたし、ずっと悩んでましたね。

何も自分には無いんだと、ただ左で投げているだけなんだ、というようなことを、常に口走っていましたね。」

山本昌投手

「自分が勝つことなんて想像が出来なかったですし、あと何年やれるだろう、ぐらいしか出てこないですね、あの時のイメージは。

クビになったらどうしよう、の方が。」

5年目の春のこと。山本昌投手はある通告に愕然となります。

それは、アメリカのマイナーリーグへの派遣

今年の戦力外であることを意味していました。

アメリカで恩師と出会う

その時、落ち込む山本昌投手にはつらつと声をかけた男性がいました。

「君たちが残るのか、頑張ってくれよ。勉強して残るか。」

ロサンゼルスドジャースで練習生の受け入れ役をしていた生原昭宏さん(いくはら あきひろ:通称アイクさん)です。

野球への情熱が高じて28歳で渡米し、用具係りから叩き上げた努力家だったようです。

基本を大切にしろ

アイクさんは悩む山本昌投手にくり返しひとつのことだけを伝えます。

基本を大切にしろ

初めは聞く気になれなかった、と山本昌投手。

山本昌投手

「とにかく上から投げろ、前で離せ、低めに投げろ、ストライク投げろ、と毎日言われてました。」

試合が終わるとアイクさんは山本昌投手をレストランに連れ出します。

そして一球一球振り返りながら、時には徹夜で基本の大切さを懇々と語ってきたそうです。

山本昌投手

「背広組がアドバイスしてくれるみたいな感覚だったんですけどね。

でも、毎日言われて自分も意識し始めると、意外とできてないんですよね。

あっ、なるほどと、あの方の誠実さというか一生懸命さというかね、そういうものに段々と惹かれていきましたね。」

「上から投げろ、前ではなせ、初球はストライク」

基本を突き詰めるうちに、山本昌投手のストレートに今までにないキレが出てくるのです!

まだ、終わってない!

そして、アイクさんが山本昌投手に影響を与えたのはそれだけではありませんでした。

ある日の試合、ピンチを招いた山本昌投手は、マウンドに駆けつけたアイクさんに「すみません」と謝ります。

その時アイクさんは一喝。

まだ、終わってない!

山本昌投手

「僕がすみませんと、と言ったら、まだ、終わってない!と叱られたことがあるんですけど、あっ、そっか、まだ終わってないんだっけ。

もう負けた気になっていたんですよ。ノーアウト満塁でね。

まだわかりませんよね? どれだけのことができるかなんて。

もっともっと頑張れるかもしれないし。

そういう面では結構強い口調で言われましたんで、ハッとしましたけどね。」

そして、山本昌投手は日本に帰国。生まれ変わったような活躍を見せ始めます。

キレのあるストレートで、勝ち星を積み重ねていき、28歳で最多勝、29歳にも最多勝と沢村賞を受賞!

2年連続の最多勝! 球界を代表する投手に成長していくのでした。

その出会いから26年、かつて戦力外に怯えた山本昌投手は驚きの48歳として現役を続けます。

これまで何度も引退の危機にさらされながらも、その都度、アイクさんの『まだ、終わってない!』という言葉が力をくれるのです。

恩師との別れ

アイクさんは、その出会いから4年後に亡くなります。

しかし、山本昌投手の心にはずっとアイクさんは生き続けているのです。

山本昌投手

「(アイクさんとの思い出の写真や品が置いてある棚に)いつもここで電気を付けて、手を合わせてから球場に行ってます。

アイクさんの教えを守りながらできているので、いろんなことをきっと引き継いでいるんじゃないかとなと思いますけどね。

山本昌投手には、こんなドラマチックな出会いと別れがあったのですね。

スポーツに限らず、指導者との出会いって本当に尊いものだなあと思います。

山本昌投手の場合は、もしアイクさんと出会わなければ、コレほどまでに成長できなかったかもしれません。

まだ、終わってない!

私もアイクさんの言葉に痺れました。。

この言葉を自分や少年野球をやっている息子たちにも伝えて、精進したいと思います。

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