集団的自衛権に対する憲法解釈の変更の是非をめぐり、メディアの各所で色々な方の主張を目にします。
これらの主張を見ている中で「あ、きっと、この人は仕事で成果を上げられないタイプの人だな」と思える言い分が3つあることに気づきましたので、ご紹介したいと思います。
1.「憲法違反なのだから」と固執している様(さま)
集団的自衛権に関する憲法解釈の変更は確かに憲法違反かもしれませんので、主張そのものは間違いではないと、個人的にも思います。
ただ、これだけ中国の軍拡や海洋進出が進む中で、早期の抑止につながる施策が必要にも思われます。
前提となる脅威や抑止効果の是非についてはここでは論じません。
ここで言いたいのは、目下の課題に対する効果的な施策は何で、スピード感を持った実行ができるか、ということです。
くり返し申し上げますが、憲法を違反しても良い訳では絶対にないので、その主張そのものは間違いではなく、むしろ正しいとも思われますが、しかし、既存の枠組みや慣わし、ルールに固執しすぎていると思われる主張は、どうしても仕事で結果を出せない人の主張と重なって見えてしまうんですよ。
仕事で成果を上げられない人の特徴として、
- 課題の発見ができない
- 課題と思ったものが的外れ
- 施策を考えられない
- 施策が甘い
- 実行が遅い
というようなことが挙げられると思いますが、まさにこれらを思い出せる言い分なのですよね。
とにかく憲法は絶対で、解釈変更はあり得ない! という主張も分かるのですが、現実的に迫っている課題があるとしたら、早期に解決させるための融通さが必要かもしれません。
これが仕事だったら、例えば今まさに売り上げが落ちていて、早期に回復、または今まで以上に売り上げを上げなければならない時。
極端な例ですが「会社の理念や経営方針に沿わないから、この施策はできない」とします。
会社の理念に沿って、売り上げを上げられるのがベストですが、それが出来なくて会社が潰れたら、それは経営者としては失格ではないかと思いますね。
当然違法ではなく、会社の理念や経営方針には沿わないけども、売り上げが低迷している会社を立て直すことができる施策があったなら、それを実行するのが経営者だと思います。
会社は継続することが第一ですし、国としても国の存続が第一ですよね。
何かに固執しすぎて柔軟性に欠ける、仕事の成果を出せない方、見かけませんか?
2.今までどこからも攻められておらず、今後も攻められるはずが無いので、集団的自衛権は必要ない
これはリスク管理ができない人です。
映画『ボーン・アルティメイタム』に登場するエズラ・クレイマーCIA長官が「最悪に備え、最善を期待する」というようなことを言うセリフがあったと思いますが、経営者やリーダー、仕事の出来る人はリスク管理、今後起こるかもしれない脅威に対する備えが半端無いです。
プロフェッショナルなマネージャーだと思う方と仕事をしていた時、「そんな事、絶対起きないよ~」というようなことまで考えて、あらかじめ対策を準備しておくんですよ。
準備が無駄になることもありますが、「本当にキター!」という時もあり、危機を乗り越えることもしばしば…。
これまでも実績があり、仕事が出来る人というのは、こういうことかと感嘆したものです。
3.急に過去のことや他国のことを持ち出して、関係無い話題をしている
話の流れの一部ではあるのですが、「ドイツはちゃんと謝罪している」とか「他の国では集団的自衛権が無い」とか、今の日本の状況やその解決策と関係の無い話題に発展しているのを見かけます。
物事の本質から離れてしまっている主張ですね。
仕事で成果を上げたい時に「他社がどうだから」とか言う方いませんか?
それで解決に至る何かがあるならいいのですが、大抵無いですよね。
課題の核心に出来るだけ迫り、そこから外れないで、出来る限りコストパフォーマンスの高い効果的な施策を打ち出すのが、仕事ができる人の特長です。
彼らには本質から外れるようなことを言ったりする感覚が無いように思われます。
まとめ
集団的自衛権関連の主張で仕事ができない人と思われる主張が3つあった。
- ことさら憲法違反、というように何かに固執気味で、柔軟性のある問題解決ができないっぽい主張
- 今まで攻められてないから、今後も攻められないというリスク管理ができない主張
- 話の流れの一部ではあるかもですが、本質から外れた関係の無い話で無駄な時間を使っている
かくいう自分もまだまだなので、これらの主張を反面教師として、気を引き締めて仕事をしようと思います。
余談ですが、最近、デモをしている人が内定を取り消されたとかいう話題を見かけます。
どのような理由で内定を取り消されたのかはわかりませんが、もしかすると、その主義主張の内容や表現方法から、「仕事できない人っぽい」と思われたのかもしれません。
デモそのものがどう、というのもあるかもしれませんが、主義主張の内容や表現方法が論理的で、紳士的なら、まだ印象が違ったものになるのではないかと思った次第です。